蛇峠山

 蛇峠山は、長野県南部の阿智村・平谷村・阿南町の3つの町村の境となる山で、三河・岡崎から信州・塩尻までを結ぶ三州街道の中でも最高所だった治部坂峠の東に続く峠です。

戦国時代には、三河進出のための軍用道路として武田信玄によって整備され、南からも北からも望める山なので、狼煙台として使われていました。三河の長篠城から、信州ではこの蛇峠山、高鳥屋山、入笠山と続き、甲州の大菩薩峠まで伝達していたとされています。今でも飯田下伊那の地域が連携して、南信州の狼煙リレーを行っています。

この特徴ある山名の由来としては、昔、蛇出(じゃで)という屋号をもった山麓の農家に住みついていた大蛇が、体が大きくなったので頂上付近の池に引っ越すと、わざわざ挨拶をして出ていったという伝説があります。
今では治部坂峠も開発され、高原のようになっていますが、昔は蛇峠山から流れ出る沢があり、その周辺では旧石器時代の遺跡も発見されていることからも、蛇峠山もしくは治部坂付近には、私達の先祖が暮らすのにも適した川と池があったのではないかと感じられる場所となっています。

今では、この見晴らしの良さをいかして、山頂付近にはレーダー雨量観測所が設置されています。こちらは、西の御在所山頂のレーダー雨量観測所と連携して、中京圏の気象予測や防災情報へと活用されています。技術は狼煙からレーダーと大きく時代にあわせて変わっていますが、地形としての山は変わることなく、その中で人が暮らしに役立つ使い方をしています。

心地よい治部坂からスキー場や別荘地を眺めながら登ること約1時間で頂上に到着します。標高と場所が優れた山頂からの360度の大展望はすばらしいの一言です。これだけ近い距離で、南アルプスの長い稜線が眺められるのも、この蛇峠山の特徴ですが、北から西にかけては、どっしりと御嶽山、恵那山の百名山が迫り、すぐ近くに同じ治部坂高原から登山することのできる大川入山が、声が届くのではないかと思える距離で見ることができます。これより南には高い山が見当たらず、天気のいい日には伊勢湾も望めると言われています。

 

この蛇峠山は、深田久弥が登った最後の頂としても知られています。実は、「百名山以外の50名山」という深田久弥の書に選ばれているのが、この蛇峠山です。

「北のかたには中央アルプス(木曽山脈)、これは縦に見る形だが、東のかた南アルプスの連嶺は、私たちの面前に一列横隊で並んでいた。仙丈ヶ岳から白根三山、塩見、赤石、聖岳に至るまでの、三千メートルの日本の最高峰が、まぎれもなく目に痛いほどの輝かしさで、名乗りを上げていた。それらすべての頂きに、かつての私の足跡が残されている。それだけに見る眼が違う。」

深田久弥は蛇峠山から自分の足跡が残されている山々の頂きを見た、この年の3月春分の日に、八ヶ岳お隣の茅ヶ岳に登山中に大きないきびをあげたかと思われながら逝ってしまいます。
深田久弥が一生のうちに登った山々を、どんな気持ちで生涯最後に眺め、そして感動したかを想像しながら、一緒に頂上で景色を眺められるのが、この蛇峠山の特徴ではないでしょうか。


 コース

■家族・初心者向け
所要時間:往路 約2時間・復路 約1時間30分
往路:治部坂観光センター→馬の背→蛇峠山
復路:(復路同じ)

 


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